ヤエチカの夏の大抽選会で。

今年の梅雨は例年通りというけれど、気温が低くて助かっている。それというのも毎年この時期になると、日経ニューオフイス賞の現地審査で忙しくなる。東京を中心に関東エリアのオフイスを見て回る。東庵のある東庄から高速バスで約2時間、東京駅は当然のハブステーションだ。

行きも帰りも東京駅。自然と駅の施設にも詳しくなる。八重洲地下街もその一つ。沢山ある商店を利用すると、支払いの時に抽選補助券を貰った。6/19〜7/9まで「夏の大抽選会」をやっている。補助券の合計3000円分で一回抽選が出来る。300円の補助券が8枚と500円の補助券が5枚。2400+2500=4900円分になった。6000円分には足りないが、一回はひけそうだ。

ポケットから出して計算していると、抽選を終えた一人のご婦人が、「私、当たったので、これ残りですけれど足して下さい」と300円券を2枚頂いた。これで、4900+600=5500だ。やはり抽選は一回。抽選に行こうとすると。今度は別のご婦人が、「私しばらく来ないから、これ使って下さい」と、300円券を3枚頂いた。ほんの数分の間の出来事で、お礼を言った直後には人ごみに消えていた。これで、5500+900=6400と2回分になったので、いよいよ抽選所へ。抽選ボックスの中から2枚を選んだ。

すると不思議なことに、2枚とも300円のお買物・飲食券が当たった。

こんなことがあるのかと。お二人のご婦人に感謝。ありがとうございます。

後日買い物券で、北海道フーディストの有機牛乳を一本買った。帰りのバスを待つ間、牛乳を飲みながら、この不思議な出来事と、二人のご婦人に感謝の念を送っていた。

三七墨会2019

18回を数えるうち、すでに12回もこの場所で開催されたのも、OBの中里くんのおかげ。やっと着いたTDK柳橋倶楽部だ。皆さんSDカードだけでもTDK製品を買いましょう。ウォーキング7名と5名が合流して、今回の参加者12名。
ようやくやってまいりましたビールタイム。今回のディナーはお爺さん達には似合わないイタリアン。

Antipasto
和歌山本まぐろのカルパッチョ、チーズ&サラミ、稚鮎のコンフィ、秋田黒毛由利牛のタリアータ

primo piatto
桜海老のペンネアリオーネ この辺でワイン。

Pesce
甘鯛のソテー、シャンパンソース仕立て

Carne
松坂豚のロースト菜園風 この辺でウィスキーのロック。

Dolce
抹茶プリンと柚子ソルベ

Caffe

あと2回で連続20回。ここまで続いたのは、常任幹事の中里くん、事務局の飯塚くん、ウォーキングコンシェルジュの小池くん、そして毎回送って貰った大森級長のフォトシートのおかげでした。レイアウトも慣れてきた感じ。


今年で全員が後期高齢者となった。75歳でなんらかの病気は勲章もの。人生100年と言われ始めた今日この頃。また、来年も元気に会いましょう。   大森くんのレイアウト

三七墨会ウォーキング2019

毎年恒例の高校のクラス会。今年で何と18年連続を迎える。当初から、ただ皆んなで集まって宴会するだけではつまらない。と、その都度、その年の幹事が就職した会社や施設を訪問し、見聞を広めようと、その年の幹事のゆかりのある施設などの見学会も兼ねていた。しかし、最近では、常任幹事の中里くんが勤め上げたTDKの柳橋倶楽部にて宴会場が決まってから、しばらく続いている。


そこで、我らが母校、都立墨田工業高等学校に通った地元、深川を中心にウォーキングを考えてくれたのが、深川で生まれ育った小池くんだ。今ではウォーキングコンシェルジュとして活躍。今年のルートは、

地下鉄森下町駅集合→芭蕉庵史跡展望庭園→芭蕉記念館→万年橋→清澄庭園→深川江戸資料館→地下鉄清澄白河駅→浅草橋→TDK柳橋倶楽部

当日の東京は朝早くに雨が上がり、清々しく晴れ上がった天気となり、歩いているうちに早く生ビールにありつきたいと思う暑さにもめげず、約4000歩のウォーキングでした。

今回の目玉はなんと言っても松尾芭蕉。資料館の年譜によると、芭蕉が深川に住んだのは延宝8年(1680)37歳の時からである。

芭蕉庵史跡展望庭園では、松尾芭蕉の坐像がゆったりと隅田川をみつめていた。

後に芭蕉庵と称する菴を火災で被害を受け、再建したり、50歳で亡くなるまで、深川を基点にして、「おくのほそ道」をはじめ日本各地に旅に出ている。


ちなみに、我が東庵に近い処としては鹿島詣でにも来ていた。

万年橋を渡り、清澄庭園へ。

次に、深川江戸資料館。江戸東京博物館ほど大きくはないが、深川の江戸時代の庶民の生活に根ざした展示は、江戸庶民の生活そのものに迫っている。

池波正太郎の鬼平犯科帳。密偵の粂八が探索のために引いた天ぶら屋台みたいだ。資料によると、「時代小説と深川」の作家も作品も多く、やはり深川は江戸時代を代表する粋な町であった。

今回もまあ何とか潰れずに最後まで歩いて来た。いつまでもつかどうか。
そして、ようやく宴会の会場、TDK柳橋倶楽部に着いた。

九段小学校新校舎見学会

10月に入って、20日に、小学校のクラス会があった。当日その前に、自分達が6年間学び育った校舎がリニューアルされたので、見学会を実施した。1時間という短い時間だったが、吉井副校長先生のご案内を頂き、参加者は、その懐かしさと新しい設備に驚いていた。

 基本的には、【千代田区景観まちづくり重要物件】となっています。
大正15年(1926)竣工。関東大震災の復興事業にあたり東京市は、不燃化構造とするため鉄筋コンクリート建築を採用しました。また、公園を併設するなどの試みも行われました。これは都市計画の中に小学校を位置づけて災害時の避難所としても使えるようにしたものです。九段小学校にも、東郷元帥記念公園が併設されています。
復興小学校には、外観デザインはそれぞれに独自のものとされており、町の顔として時代の意匠をまとった凝ったものが多くなっており、九段小学校もパラボラアーチ型の窓や、土筆の塔など特色があります。

        以前は校庭の正面にあった二宮金次郎の像。正門のアプローチに移設されていた。

外観は既存建築のイメージを残しつつ、新築工事部分を設計するという苦労があったと思います。しかし、全体としては見事に調和されており、卒業生としても愛着を感じました。

 校庭は人工芝に敷き詰められ、その下の地下には体育館が設けてあるのにはビックリ。

   新築の東棟の4階には、25mx4コースのプールがあり、その1階には園児用のプールがあります。

 広くて明るい玄関。

煙突は原設計に準じたもので、自分たちの時は給食用のリフトがあった様な記憶があります。

 2003年11月30日の「同窓会創立100周年記念式典」に参加した時に訪れた校舎は、また少し手が入っていて、西棟の階段の手摺りは、今回の色彩の方が趣があって、ずっと良くなっていると思いました。

   復元・保存された床も、パーケットブロックとテラゾーの研ぎ出し仕上げという手の込んだものだった。

   踊り場は、懐かしいアーチ型の窓。ここでしゃがんで隣の公園を見ていたことも。サッシは全て新しくなって安心だ。   廊下は広く、小上がりのあるオープンスペースになっていて、その段差は空調の吹き出し口になっている。教室との仕切りは全て引き込み戸で解放出来る。   教室は明るく、収納家具なども使いやすそう。

   音楽室には、ブラスバンドの楽器類が全て揃っていた。コーラスよりも演奏に力を入れているのがうかがわれる。

   トイレはオフイスビル並の清潔さ。

  B2  九段記念室。東郷元帥の貴重な資料が展示されていた。

  B2 九段ギャラリー 百数十年の歴史が写真や記録物によって展示されている。


アールヌーボー調のエントランスドア。毎日見ていたので気付かなかったけれど、デザイナーになってからも、幼き頃の影響は受けていたことに思い当たります。施設としては幼稚園もあり、自分としては2年間通っていたので、合計8年間お世話になっていました。

千代田区立九段小学校・幼稚園リニューアル工事。色々細かいところまで考慮頂いた特に建築設計の担当者様、お疲れさまでした。我々卒業生としては満足した結果になりました。また、当日ご案内いただきました副校長吉井先生、ありがとうございます。

三七墨会2018

今年もこの時期がやってきました。毎年恒例の高校のクラス会。昭和37年卒業都立墨田工業高校電気科3年4組のクラス会だ。もう6月か、年々早く感じるのは歳のせいでもある。


ところでこの会の意味としては、高校生の頃はあまりしゃべらなかったクラスメイトでも、50年以上も経って、毎年クラス会で話し合っていると、また新しいコミュニケーションが始まったことにある。
この地球に人として生まれた意味は「感じること」つまりリアルな体験である。そして、その手がかりは「人とつながること」なのである。そういった意味を踏まえて、この会は毎年続いている。なるべく参加したいと思っている。

今日も昼間の「ブラすみ会」を終えて、ここTDK柳橋倶楽部で夜の部参加のメンバーと合流。


今回は、4Fのダイニングでオジさん達には、チョット似合わないフレンチのコース。

常任幹事の中里くんの乾杯で始まった。

モッツァレラチーズと生ハムのタルト

馬肉のカルパッチョ、サラダ仕立て

グリーンピースの冷製スープ、キャビア添え

舌平目とムール貝のエチュベ

金華豚肩ロースのロティ、トマトソース

チョコラータとアイスクリーム。あとはコーヒーか紅茶でフィニッシュ。お料理はとても美味しかった。ビールに白ワイン、ウィスキーと飲み物はやっぱりアルコールが良く合う。

2002年から始まったこの会も16年目。43人いたクラスメイトも、最大19名が参加したことがある。今回は12名。75歳でも仕事と重なって出席出来なかった残念なメンバーと、体調を崩して参加出来なかった彼らのことが気がかりである。来年は是非参加して貰えたらと思う。

皆んないい笑顔になる瞬間だ。飯塚事務局長。いつもデータの製作をありがとう。渡部は健康オタクになったのか?素晴らしい研究成果を公表してくれた。篠原は、体調気にせず参加してくれて、却って元気になっている感じだ。皆んな頑張ってるなあ。

ゴルフの上手い大森元級長も、体調を心配したが元気に参加、安心した。毎回写真の編集をありがとう。

今日のために床屋へ行って白髪染めで若返った杉浦くんの三本締めでお開きに。

集合写真は、相変わらず和やかな感じ。

帰りがけに受付嬢と記念撮影は毎回恒例。いつも酔っ払いのお爺さん達のお相手をして頂いてスミマセン。まあ、とにかく今年も無事に終わって良かった。


しかし、こうゆうスチエーションでは男もよく喋る。機会さえあれば決して女性にひけを取ることはない。もっと回数があれば平均寿命の男女比が縮まることもあるかも知れない。しゃべることは長寿に繋がるからなあ。

ブラすみ会2018

1年前に決めたこの日、6月6日は梅雨入りで東京も一日中雨だった。

6月7日~17日は日枝神社のお祭り「山王祭」通り三丁目のお祭りの飾りが始まっていた。

今日は「三七墨会」の日。その前にオマケのウォーキング。始まりました、お爺さん10人が行く「ブラすみ会」今回は日本橋周辺。

神田駅南口集合をカットさせて貰って、コレド室町のB1にあるカフェBOULANGEでシュークリームを食べながら待つ。

隣の日本橋案内所で皆んなと合流。今回の参加者は10人。毎回ウオーキングコンシェルジュの佐野正宣くんの企画だ。
まずは、裏の福徳神社「芽吹稲荷」にお参り。

けして大きくはないが、ご由緒を見ると、主祭神の倉稲魂命をはじめ、太田道灌、徳川家康など、江戸東京にゆかりが深い。

そしてコレド室町に戻り、ニンベンで出汁の味見と買い物。
つづいて、雨の中を歩き出す。行先は日銀の隣「貨幣博物館」

受付で空港並みのチェックを受けたあと、2階の映像コーナーへで10分のビデオを観る。

そして展示会場に。ここからは撮影禁止なので貨幣博物館webページ資料より。和同開珎から大判小判や紙幣など多数の貨幣の展示を見た。

高橋くんに教えて貰った「西郷札」もあった。

セゴドンも苦労したのだなぁ。

つづいて、地下鉄のコンコースに展示されている絵巻物「煕代勝覧」(きだいしょうらん)のレプリカを見学。本物はベルリン国立アジア美術館に。

江戸時代の日本橋界隈の生活が偲ばれる。

次に、「日本橋魚河岸記念碑」へ。関東大震災で築地に移るまで、徳川家康が江戸に住んでから幕府の膳所に上納した残りの鮮魚を舟板の上に並べ、一般に販売したのが、始まりとか。

そして、日本橋と言えば「道路元標」を見に。本物は日本橋の中央に。写真はその北西に作られたレプリカ。お江戸日本橋七つ立ち‥と歌にある様に、国道1号・東海道、4号・日光街道、6号・水戸街道、14号・京葉道路、15号第一京浜、17号・中山道、20号・甲州街道が集まる7幹線国道の起点となっている。

ラストは「名水白木屋の井戸」の碑。江戸時代、日本橋に呉服の大店「白木屋」二代目木村彦太郎は正徳元年(1711)、日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に井戸を掘った。平成10年に閉店し、白木名水は消失。その碑を移設したもの。

いよいよクラス会の会場へ。人形町から都営地下鉄で浅草橋へ。会場のTDK柳橋倶楽部に到着したのは予定通り17:20。エイグルのロングブーツに黒傘で雨の日の散歩を楽しんだ。

三七墨会2017

今年もまた、この時期がやって来ました。そうです、昭和37年卒業都立墨田工業高等学校電気科3年4組クラス会。
毎年恒例になっているこの会が、何故こんなに続くのかと言うと。
先ずは、常任幹事の3人が、世話をやいてくれるおかげ。会場と会計の中里くん。クラス会事務処理の飯塚くん。そして、ウォーキングコンシェルジュの佐野くんだ。
まあそれに、毎回参加する15~6人の常連たちである。

人間関係というものは不思議なものだ。たった3年間の同級生と、クラス会ではもう10数年のコミュニケーションになる。学生時代には、あまり話もしなかった友達も、毎年クラス会で会っていると、新しいコミュニケーションの歴史が始まり、それぞれの人間性が理解されてくるものだ。

今回のウォーキングは、浅草橋駅改札口で集合。「蔵前水の館」という東京都下水道局の資料館を見学。  次に、徳ノ山稲荷神社などを経て、

「東京都慰霊堂」にお参り。  関東大震災の犠牲者の慰霊として竣工された震災記念堂は、東京大空襲の戦災者の慰霊堂としても。

続いて「旧安田庭園」に立ち寄り。  江戸時代の大名屋敷から明治になって、安田財閥の安田善次郎の所有に。その後東京都に寄付されこの名に。墨田区に移管。

  両国橋から柳橋 へ。歩行距離は地図上3,1Kmとか。ようやく夜の宴会場、TDK柳橋倶楽部 に着く。先ずは会計。(ノミやの馬券の精算ではありません)

  いよいよ宴会の始まり。料理は和食の懐石。

  先付 穴子野菜白酢掛

  組肴 順菜胡麻辛子掛、浅利一夜干し、雲丹豆腐、アゲ巻貝塩煮、魚トマト寄せ

  向付 牡丹鱧、鰹

  御椀 伊佐木、大根、冬瓜、竹紙昆布巻

  焼物 喉黒遠山焼

  御食事 新生姜御飯

  デザート アスパラ饅頭

と、この辺になると、ビール、日本酒、焼酎、ワイン、ウイスキーとみんなアルコールがまわってきて味も漫ろ。

そして、来年の計画を発表。  仕上げは、酔っ払いのオジサンとツーショットを笑顔でこなす受付嬢の苦労を考えると、無理強いはイケマセン。さて今回は、集合写真が間に合わなかった。誰か見て、持っている人、送ってください。

今年も、もう10月

歳をとるほどに一年が早くなる。
今年も、ついに10月だ。神無月、自分の誕生月でもある。

AISINから頂いたユニークなカレンダーもあと3枚を残す。
一見横型の卓上カレンダー。よく見ると、日にちのピースにミシン目が入っていて、1日ごとにちぎってゆける。日めくりのアクションを加味した優れものだ。image-2016-10-13-at-22-49

今年の10月10日は、祝日になった。1964年の東京オリンピックの開会式の日。
体育の日として生まれた祝日。週末に絡ませて3連休にすることで、動かされた祝日は、その本来の記念日的な意味合いも忘れていき、薄れてしまう気がする。
祝日とは、無理やり移動するべきでなく、たまたま連休になることで、ありがたみも感じるというものだ。記念すべき祝日は、元に戻して欲しいと思っている。

歳をとってからの仲間たち・三七墨会2015

今では毎年恒例になっている、昭和37年度都立墨田工業高校電気科3年4組のクラス会。今年も先月の8日に無事?終了した。今回も、墨田両国界隈コンシェルジュの佐野君のリードにより、夜の部の宴会の前にひと歩き。ウォーキング付きであった。IMG_652220150707150510

両国駅の西口で待ち合わせして、まずは国技館に付属した「相撲博物館」を見学。内部は撮影禁止なので。歴代の力士の写真や、化粧マワシが飾られ、子供の頃の懐かしい感じが蘇る。

次に清澄通りの地図で、佐野君がウォーキングルートの説明。IMG_652920150707150615
両国はやはり相撲の町。チャンコ料理の店や、相撲のモニュメントが多い。IMG_653520150707150714

一行は、江戸時代から無縁仏の投げ込み寺でも有名な回向院に。IMG_653720150707150754

気持ちのいい竹に覆われた通路を行くと、
力士の力塚やペットの供養塔、災害犠牲者などの慰霊塔もある。IMG_654320150707151048

ねずみ小僧の墓もあり、墓前でなにやら一生懸命に石を削って、その粉を持ち帰るという若い男子が不思議だった。受験生とか。IMG_656220150707151134

回向院を出て、一行は裏通りに入り、日露戦争で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」の錨(いかり)を観て、芥川龍之介の文学碑に。龍之介は、この地で生まれ育った。石碑には、杜子春の一説が。

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次に、今は両国公園となっている、勝海舟の生誕の地を訪れた。IMG_659120150707151308IMG_659320150707151358

そして、夜の部の宴会場である柳橋方面へ。
途中、忠臣蔵で有名な「吉良上野介邸跡」を見学。IMG_660320150707151432IMG_660820150707151511

吉良上野介の像もあり、義士の資料も展示されている。そのあと隅田川を渡り、無事に会場のTDK柳橋倶楽部へ。

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ようやく皆と合流。

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食事は、オジさん達には似合わないが、フレンチコース。ビールで乾杯したあと、ワインに。

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前回体調不良から欠席した篠原君が、見事復帰。15名の常連が一同に会した。毎年恒例のこの会も、皆が楽しみにしているのがいい。55年前にはクラスであまり口もきかなかった奴が、今では別の親しい仲間になっている。皆、来年も元気に集りましょう。

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帰りの柳橋はイルミネーションで、雰囲気が変わっていた。

三七墨会・2014

毎年恒例になった、墨田工業高等学校昭和37年電気科3年4組卒業生のクラス会。題して「三七墨会」ミナスミカイと読む。
今回は、夜の部の宴会の前に、ウォーキングをしようという提案があり、その分野でボランティアで活躍している佐野くんのリードで実現した。付き合いの良い小生も参加。

東武東京スカイツリー駅中央口で集合。浅草は雷門へと向かう。


まずは近くの、「屏風博物館」と「駿河屋」に立寄り、これは小生が墨田区の「商工業アドバイサー」をしている2件。場所を覚えてもらった。
墨田区役所の側を通り、隅田川は駒形橋を渡る。

フィリップスタルクのデザインによるアサヒビールのうんこビルと墨田区役所とスカイツリーが。一緒に観られるポイントだ。

そのあと、浅草文化観光センターへ。42年間東京に住んでいて、仲見世を上から観たのは初めての経験だった。

仲見世通りから浅草神社、浅草寺へ。
浅草神社では、3年前に三社祭の宮入の際、地元の人のお誘いで、半纏を着て参加した感覚が蘇って来た。皆に遅れをとったが、なんとか浅草神社のお札を購入。駆け出して追いつく。

西光寺で池波正太郎のお墓をお参りさせて貰った。知らない人には分からないプライベートなお墓。鬼平ファンにとつては嬉しい感激。今回は、佐野くんのお寺との繋がりでお参りできた。コネが重要な日本の社会。

近くの等光寺では、その昔、友人として交流のあった石川啄木の石碑を拝見。

そのあと、合羽橋商店街を通り抜けたあたりでは、普段あまり歩いていない2名が遅れだした。「みんな若いなぁ〜」池波正太郎記念文庫へ。

生涯学習センター前から、台東区のコミニティーバス「めぐりん」に乗って、JR浅草橋北まで。

バスに乗れて良かった〜!の顔。
ようやく会場のTDK柳橋倶楽部にたどり着く。夜の宴会参加者たちと合流。

宴会はいつもの様に進んで行ったのだが、さすがにウォーキングをしてきた連中の疲れはいなめない。いつもより酔いが早くなった気がする。

その証拠に、今回は集合写真を撮るのを忘れた。古稀を過ぎたら無理をせずに、次回はまた気楽な会になりますように。


それにしても気になるのは、参加がキャンセルになった篠原くんの体調だ。あとでメールが入っていたけど、重要な手術をして、次回は元気に凱旋して欲しい。もう一人、李くんのことは渡部くんよりの丁寧なハガキを頂きご本人の参加意志が固まるまで、そっと見守ることにしましょう。

それでは、皆さん。次回も元気にお会いしましょう。