新型コロナウィルス・その1 千葉県東庄町の場合

ついに6月になってしまった。
いやあ、お待たせしました。しっかりまだ生きております。
新型コロナウイルスについては。
3月28日(土)夜。あるテレビの番組を見ている時。ショッキングなニュースが入ってきました。「千葉県の東庄町の障害者施設で、新型コロナウイルスに58人の集団感染が発生した」と。テレビで「東庄町」の名前が、全国ネットで告知された。

コロナ騒ぎに不安になっている最中、まだ感染者数が多くはない時だった。
30年前に東京からこの地へ移って来た時は、何の変哲もない、日本の何処にもありそうな、のどかな田園風景の広がる田舎町だったのである。
東庄町?、何処かで聞いたことがある。という連中から、早速色々なメッセージを頂いた。ありがとうございます。おかげさまでコロナに負けず元気に過ごしております。

東京より東に100km。以前は車で東関東自動車道路を飛ばして1時間半くらい。
JRの特急では1時間45分。千葉交通の高速バスだと1時間45分〜約2時間。
新型コロナウィルスの蔓延しだした東京の中心からも、十分離れているので、今年は一度も東京へは行かずに、もっぱらテレワークの毎日でした。

それが、町民は約15000人弱の人口に対して、いきなり100人超の集団感染が発生したのだ。この小さな田舎町の障害者施設で起こった集団感染。国、県、船橋市、東庄町の合同対策本部が出来たものの。
町からの情報は、防災東庄というスピーカーの放送で、
1、町の施設で、公民館とふれあいセンターをしばらく閉館する。
2、子供の行事対応を中止する。
3、「おでかけ号」という町内無料の巡回バスの運休。
4、東庄病院の時間短縮と必要な薬の対応。
という、連絡だけを繰り返すのみになっていた。

新しい情報はテレビのNHKなどのニュース番組でしか分からない有様。
見えないウイルスを見えるかするPCR検査は、保健所の指示が無ければ受けられない。
これでは感染拡大は防げない。そして、隣町の香取市、銚子市への感染の不安から
風評被害や、差別を受けることが耳に入る。例えば、よくある軽トラに東庄町の文字が見えると、「東庄町の奴らは来るな!」との洗礼を受けたと聞く。まったく、日本人としての助け合いの精神、大事なプライドは何処に行っちゃったんだろうか。

まあ、とにかく、この「新型コロナウイルス」について、何も分かっていない。とにかく相手を知ることでこれからの対応も可能だ。先ずはどんな相手なのか知ることにした。

明けましておめでとうございます。

皆様、あけましておめでとうございます。お待たせしました。昨年は半年間のご無沙汰です。地球物理学からすると日本列島は2500万年前に出来たまだ若い台地。マグマが押し寄せてシワシワになった結果が山岳地帯だ。山が多いということは川も多い。最近の不安定な天気に水害も多く、そして地球上の大地震の2割が日本で起こっている。災害にも強い日本人として生き抜いて行きましょう。

本年もよろしくお願いいたします。    中田重克

 

 

あけましておめでとうございます。

「農ということを継続出来る喜びに感謝。新年に際して、大地の恵みを下さる年神様にお越し頂く為に、畑も清楚に設える。」

おかげさまで、ブログを始めてから昨年末で400件を数えました。今まで、このページを訪ねていただき、ありがとうございます。今年も頑張って続けて行きたいと思っております。皆様にとって、良い年になりますように、お祈りいたします。

北原進のモダニズム

10月の15日は、インテリアデザイン界の重鎮、北原進氏の出版記念パーティーがあった。場所は、六本木の国際文化会館・岩崎小彌太記念ホール。その日都内での打ち合わせを2件済ませて、地下鉄で六本木に着き、会場の方向に歩いて行くと、後ろから「中田さん」と声をかけられた。JIDの秋山さんだった。協会の60周年の事など話しながら文化会館に着く。

会場へ階段を降りて行くと、受付にはすでに大勢の来場者であふれていた。北原さんも入り口付近にお出迎え。先ずはご挨拶を。80歳になられたとか。まだまだお元気で、100歳の現役デザイナーを目指して欲しいものだ。

北原さんのご縁の方たちの減額四重奏の心地よいBGMのなか、飯島直樹氏の司会で始まり、北原さんの挨拶。姿勢が良いのにビックリ。
勝井三雄さんの乾杯。石井幹子さんのご挨拶などなど、錚々たるメンバーが発起人を務める。

いつの間にか会場は懐かしい顔であふれていて、久しぶりに楽しい会でした。時間がなかったので、早めに引き上げてしまったが。

この本の作品を殆ど撮影したカメラマンの白鳥さん。久しぶりだったけれど、少ししか話せなかったのが残念。

北原さんの初期の作品を収めていた銀座のソニービルも解体され、現在は一時的に銀座ソニーパーク。時代は東京を少しづつ、そして大きく変えていった。今やその座をスカイツリーに奪われた東京タワーではあるが、帰りの小雨の中にしっかりと輝いていた。

帰って来てから、作品集「北原進のモダニズム」を観てみる。やはり懐かしい記憶が蘇る。そういえば、あの頃、月に一度は誰かのデザインした店舗などのオープニングパーティーが開かれていた。そして、そこでは酔った勢いでデザイン論に夢中になっていたことが蘇る。雑誌「ジャパンインテリア」がその軌跡を証明していた60〜80年代のこと。

北原さんの作品集ではあるけれど、当時の対談記事など、インテリアデザインという切り口から歴史的な時代背景とクリエイター達のコンセプトが伝わる一冊となっている。(¥4700 星雲社)

そして、猫のいる風景は無くなった。

気持ちよさそうに昼寝。暖かい春の陽に包まれて小鳥の夢でもみているのだろうか。シマ猫のミロクは、2000年4月9日に東庵の縁側に置かれたダンポールの中で生まれた。最初に見つけたのは、地元の皆んなで花見をして、帰ったときの子供達だった。「あっ、生まれてる!」という声に皆んな集まって箱の中を覗いた。産まれたばかりの目も開いていない小さな子猫が4匹、母猫の乳にしがみついていた。

あれから18年、メスの子猫はすっかりおばあちゃん猫になって東庵に居ついている。

色々あって、猫一匹と一人暮らしになったのは、10年前の事。東庵から東京に仕事に行く事もしばしば。その度に、猫は外飼いになって、専用の猫部屋から出入りしていた。ある日仕事から帰ったら3匹いた猫たちは、ミロク1匹になってしまった。

それから、出かける時には、玄関のポーチまで見送りに来る。そして、頻繁に出かけていた時期には、また出かけるのかといった顔つき。さらに車の前で眠ったりして、まるで抵抗しているみたいだった。

散歩に行くと、どこまでも付いてくる。

出かけた時は、帰る10分前に車を運転しながら、「ミロク、もうすぐ帰るぞ」とつぶやいている。すると、きまって玄関ポーチのところに座ってお出迎えしてくれた。

草を採ってやると、カシュカシュいって食べる。

ブラッシングは最高のひとときだ。

しっぽをブラシで太くして抱き上げる。

車の上が好きだった。

一番のお気に入りの場所。

今年の夏は、殊の外暑かった。毛皮を脱げない猫は、さぞかし暑いだろうと思う。8月に入ってミロクの食欲が落ちてきた。かかりつけの獣医さんには注射を打って貰ったが、年齢的なものとか。18年と5ヶ月経った猫年齢からすると、人間的には90歳〜100歳のようだ。

9月に入ってミロクの食欲はさらに落ちてきて、高齢猫用の餌も治療用の餌も受け付けなくなった。水だけは飲んでいたが、やがて細かく切った鰹の刺身も匂いを嗅ぐだけになった。体重は以前の半分くらいに軽くなり、見るからに痩せてきた。そして、9月27日の未明。ミロクはその生涯を閉じた。翌日の朝、秋の冷たい小雨に濡れた、やせ細った身体は、更に細く見えた。不思議なことに、その横たわった姿勢は、今にも歩き出しそうに前足を一歩出している状態だった。そして目をしっかり見開いて。綺麗な目であった。猫ドアから出て、何処かに行こうとして、そのまま倒れたのか。次の日、雨も上がり、庭の隅に埋めてやった。ミロク、今までありがとう。おまえが居てくれたおかげで楽しかったよ。ゆっくりとおやすみ。

いままで東庵にて可愛がって頂いた皆様、ありがとうございました。
そして、東庵から猫の居る風景はなくなった。

ついに特定保健指導が来た

健康診断から1ヶ月後。案の定「特定保健指導」の書類が郵送されてきた。
健康診断の結果から、生活習慣病の疑いのある町民を招集。
今度の会場は、東庄町役場の1階。
指定時間に行くと、同じく招集された数人がロビーにいた。

矢印の方向に進むと。「特定保健・指導受付」があった。
受付では、すぐに指導の管理栄養士の担当者がいらして、次の部屋で前回の「健康診断」の結果について説明が始まった。

特に問題はないはずだったのに、呼び出しがあったのは2点。一つは体重と腹囲。もう1点は、血液検査のコレステロール値だ。他のデータは多少プラスマイナスあるものの、問題にする程ではないという。ただ、「 LDLコレステロール」119以下(基準値)が、何と170mg/dLあった。これは140〜病院での医師の診断を仰ぐよう、医療対象となり、後日東庄病院の内科で話を聞きに行った。医師としては、「指導要領に基づいた生活をして、3ヶ月後にまた血液検査を朝食抜きで受けるように」とのことだった。

メタボリックシンドローム判定は、「予備軍」該当だ。

とりあえず、目標シートには、

6月 体重 74.1kg 腹囲 94.6cm
7月 体重72.5kg
………………………………………………これより目標値を記入された。
8月 体重71.8kg
9月 体重71.1kg
10月 体重70.4kg

ということで、東庄町に依頼された管理栄養士の方の指導を受ける事になった。生まれて初めての経験なので、これを真摯に受け止め「頑張るぞ!}の決意の表情。しかし、結果を出さねばなあ。

発酵の里こうざき 酒蔵まつり お蔵フェスタ2018

今年も春、3月25日のこと。毎年恒例の第20回目、千葉県香取郡神崎町の酒蔵、鍋店「仁勇蔵祭り」と寺田本家「お蔵フェスタ」が開催された。今回は天気もいいし、車移動の我が身にとって、初めて電車での参加をしてみた。我が家「東庵」から歩いて5分の下総橘駅から成田線に乗って約40分。下総神崎駅に到着。会場までは歩いて15分だが、シャトルバスに乗る。

着いてみると、歩いてきた人たちもかなり増えてきて、主要な道路は歩行者天国になっていた。道路いっぱいに溢れ出した人たちは、ひたすら蔵元に進む。

すでにこの道の両側には屋台の店が並ぶ。

千葉県のブランド佐原の手作り「八木の耳かき」も出ていた。

最初に出会う蔵は鍋店「仁勇」の蔵。無料試飲コーナーは長蛇の列。

ここはパスして蔵の見学コースに入ると、絞り出し生原酒の試飲に並んだ。直ぐに飲めたのがラッキー。

それも、蔵でしか飲めない搾りたて。袋の吊るし絞りと機械絞りの飲み比べ。吊るし絞りがまろやかであった。

ややいい気分で道路に出ると、様々な屋台が迎えてくれる。基本的に酒のツマミになるものが多い。時間が経つごとに人が増えてきた。
右へ曲がると、懐かしい寺田本家の蔵が見えてきた。
お蔵フェスタの入り口で、5枚つづりの試飲券を500円で買う。

会場の飾り付は万国旗ではなく、古布だったのが嬉しい。

蔵見学コースに並ぶ。しばらくして中に入ると。
酒造りのプロセスに沿って説明が始まった。
グループごとに各コーナーで詳しい酒作りを学ぶ。
寺田本家から出て、裏フェスタ会場に。途中どぶろくを飲めるコーナーにつかまる。

この辺で、5〜6杯は飲んでいる。
裏フェスタ会場の素晴らしさは、ステージから小さなテントまで、全て竹を構造に使っていることだ。
そしてステージでは、GOCOO+TAWOOの和太鼓のライブが会場を盛り上げていた。

皆んな大拍手の中演奏は終わる。

そろそろお腹が空いた。まずは「こがし焼きそば」

「麻炭入りフランクフルト」のソテー。

夕方になって。帰り道に「仁勇」の鍋店にもう一度寄ってみた。
人混みは半減していて、試飲にも難なくたどり着けた。

帰りもバスに乗り駅へ。

改めて神崎駅舎を観ると、以前のひなびた田舎の駅は新しく今風に建て替えられていた。

ホームも一年で最高の混み具合。それもそのはずで、東京は新宿から、専用のJR特急列車が用意され、指定は往復満員だという。

いよいよ発展してきた「神崎醗酵祭」寺田本家の先代の笑顔が浮かんでくる。ちょっとホロ酔いのいい一日でした。

 

東庵にも冬が来た。

目の前の石出の堰には水鳥が集まってきた。

プリウスは氷に包まれて、近ずくとまるで氷河のよう。

リビングルームの室温は10℃を切った。薪ストーブの出番。今年の火入れはいつもより半月早かった。

燃料の薪は、厳冬の前に準備出来れば余裕だ。

振り返れば、酉年の終わりを告げる雲。

猫だけは日向ぼっこ。暖かい場所を良く知っている。

今年もあと2週間。来る年が皆様にとって良い年でありますように。

 

薔薇2017

6月のある日、千葉県でも有数の京成バラ園に来ていました。桜にしても紅葉にしても、その日その時が当たりの日。バラもまた然り。そしてまさに、この日が満開の日でした。何度か訪れていたバラ園ですが、ここまで満開は初めて。今回は、バラの花を沢山載せて、言葉はもういらない。

以上、43枚の薔薇の写真。似ているタイプもありますが、全て異なった種類の花です。これでも1/3くらいだから、園内の種類は幾つあるか分かりません。でも、花は見ているだけで幸せになりますね。