今年の冬はことのほか冷える日が多い。リビングの薪ストーブも焚きっぱなしだ。

薪ストーブにしたのは、東庵の新築と同時。竣工は1990年だから、今年で28年目に入る。
もっとも、ストーブ本体は初代のスウェーデン製が20年経って、2代目のニュージーランド製に取り替えられた。形はシンプルな角形で似ているけど。新しいものは、クッキング機能が色々付いていて、ストーブ料理も楽しめるのが気に入った。

燃料を木材に頼るのは、日本では古代からの生活に始まるけれけど。江戸時代の浮世絵などを見ると、景色の中ではほとんど禿山で、現在のように木の繁った森林は見かけない。それもそのはずで、燃えやすい木と紙で出来た建築の火災による建築資材の供給にいとまがなかった。それに加えて、燃料のほとんどを「薪」に頼った生活のすえの禿げ山化であったようだ。時代劇で、囲炉裏に暖をとったり、釜戸での煮炊きをしたり、風呂を炊いたり、全てに薪が燃料として使われている。江戸時代、貧乏な暮らしの物語では、厳しい冬を乗り越える薪が手に入らず、苦労する話にも出会う。「燃やす薪も無くなってしまった」という台詞は、なんと身体も冷える言葉だろう。

人ごとではなく、我が家の冬のメイン暖房である薪ストーブ。その薪が不足している。実は大変だ。どうにかしなくてはならない。かなり深刻な問題として悩んでいた。そんな時、持つべきものは近くにいる知人である。親類の家の庭の整備に伴って、槙の木を切ったので短く揃えたら薪になるかなと。

願ってもないことで、長さ30cmiにしてもらい、届けてくれた。そうしたらなんと軽トラック4杯分もあって、おまけに古い家屋を解体した古材もいただいた。

燃やしてみると、伐採したばかりの幹や枝では、素材の持つ含水率が高く燃えにくい。しかし材木になってから何10年も経っている古材は燃えやすく、両方を混ぜて使うのが賢い方法だと気づくのに時間はかからなかった。

この冬の燃料が欲しいと願っていた者への神様のプレゼントとしてしか思えない。感謝、感謝です。ありがとうございます。