東庄町健康診断2018

昭和から平成の現在まで、公益社団法人日本インテリアデザイナー協会の会員であった私も。今年の春、総会で名誉会員にして頂いたことから。それまで加入していた、文芸美術健康保険から、国民健康保険に移行したこともあって、今年は初めて住んでいる香取郡東庄町の健康診断を受けた。
郵送されてきた書類と、検尿の容器を持って、指定の時間に向かう。

場所は、我が家の隣、東庄町保険福祉総合センター。歩いても5分とかからない場所でも、上り坂なので車で行く。

ロビーで待っていると、順番に指定の番号を呼ばれる。

受付を済ませて。

尿検査のコーナーへ採尿した容器を提出。

最初は身長と体重の測定。初めて見た、体重計にセットされた身長測定器。これで一度に両方計っていた。

次に、腹囲の測定。仕切られたカーテンの中で、女性の担当者と二人きりで、お腹を出してメジャーでを測られるのは、何となく恥ずかしい。

血圧を測定してから、

問診。認知症も視野に入れた様々な質問の中で、心身ともに現状の健康状態をチェックされる。

やがて、血液検査。4本も血を抜くのはチョット心配で聞いたら。

「全部で大サジ1杯程度です」という言葉で安心。

採血後の脱脂綿を押さえておくこともなく、このブルーのマジックテープで数分間締め付けておけば良い。

帰りがけに、役場のコーナーで。町発行のポイントカード「コジュリンカード」のポイント加算。

東庄町では、ボランティアの協力や、健康診断の受診にもポイントが加算される。町内の加入商店での買い物でポイント加算されるもの。ポイントが満杯になると、500円分の商品券として商店で使える。これで、とにかく今年の健康診断は終了した。結果は1ヶ月後に郵送される。ちょっと心配。

現地審査に伴うランチ

今年も、日経ニューオフイス賞の全ての賞も決まり、表彰式も終わった。
関東甲信越の現地調査は、応募された約60社の書類を審査して、通過した20社を6月25日から7月20日までの間に視て回った。


思えば、この夏は随分と暑かった。熱中症も最盛期の頃、午前中と午後に分けてお昼を挟む。そんな時、京都からも参加している味に詳しい大学教授も含めた審査委員の一行の楽しみは。もっぱら、本日のランチタイムを何処で過ごすか、である。ちなみに、

上諏訪では、天ざる

麻布では、アメリカンクラブ・サンドイッチ

築地では、特製海鮮丼

赤坂では、鴨せいろ

虎ノ門では、麻婆豆腐

品川では、150gにしたけれどビーフステーキ

四谷では、ロースカツ定食

目黒でも、骨付きステーキ

横浜中華街では、飲茶

それに、お疲れさまの麦酒。これが問題だ。

というわけで、都内に地方都市に、ランチで何を食べるかには事欠かない。問題は、一緒になってお付き合いをしていると、結果は、体重と腹囲に現れる。事実、今年初めて参加した東庄町の健康診断の成績は、ちょっと問題だった。反省。

三七墨会2018

今年もこの時期がやってきました。毎年恒例の高校のクラス会。昭和37年卒業都立墨田工業高校電気科3年4組のクラス会だ。もう6月か、年々早く感じるのは歳のせいでもある。


ところでこの会の意味としては、高校生の頃はあまりしゃべらなかったクラスメイトでも、50年以上も経って、毎年クラス会で話し合っていると、また新しいコミュニケーションが始まったことにある。
この地球に人として生まれた意味は「感じること」つまりリアルな体験である。そして、その手がかりは「人とつながること」なのである。そういった意味を踏まえて、この会は毎年続いている。なるべく参加したいと思っている。

今日も昼間の「ブラすみ会」を終えて、ここTDK柳橋倶楽部で夜の部参加のメンバーと合流。


今回は、4Fのダイニングでオジさん達には、チョット似合わないフレンチのコース。

常任幹事の中里くんの乾杯で始まった。

モッツァレラチーズと生ハムのタルト

馬肉のカルパッチョ、サラダ仕立て

グリーンピースの冷製スープ、キャビア添え

舌平目とムール貝のエチュベ

金華豚肩ロースのロティ、トマトソース

チョコラータとアイスクリーム。あとはコーヒーか紅茶でフィニッシュ。お料理はとても美味しかった。ビールに白ワイン、ウィスキーと飲み物はやっぱりアルコールが良く合う。

2002年から始まったこの会も16年目。43人いたクラスメイトも、最大19名が参加したことがある。今回は12名。75歳でも仕事と重なって出席出来なかった残念なメンバーと、体調を崩して参加出来なかった彼らのことが気がかりである。来年は是非参加して貰えたらと思う。

皆んないい笑顔になる瞬間だ。飯塚事務局長。いつもデータの製作をありがとう。渡部は健康オタクになったのか?素晴らしい研究成果を公表してくれた。篠原は、体調気にせず参加してくれて、却って元気になっている感じだ。皆んな頑張ってるなあ。

ゴルフの上手い大森元級長も、体調を心配したが元気に参加、安心した。毎回写真の編集をありがとう。

今日のために床屋へ行って白髪染めで若返った杉浦くんの三本締めでお開きに。

集合写真は、相変わらず和やかな感じ。

帰りがけに受付嬢と記念撮影は毎回恒例。いつも酔っ払いのお爺さん達のお相手をして頂いてスミマセン。まあ、とにかく今年も無事に終わって良かった。


しかし、こうゆうスチエーションでは男もよく喋る。機会さえあれば決して女性にひけを取ることはない。もっと回数があれば平均寿命の男女比が縮まることもあるかも知れない。しゃべることは長寿に繋がるからなあ。

ブラすみ会2018

1年前に決めたこの日、6月6日は梅雨入りで東京も一日中雨だった。

6月7日~17日は日枝神社のお祭り「山王祭」通り三丁目のお祭りの飾りが始まっていた。

今日は「三七墨会」の日。その前にオマケのウォーキング。始まりました、お爺さん10人が行く「ブラすみ会」今回は日本橋周辺。

神田駅南口集合をカットさせて貰って、コレド室町のB1にあるカフェBOULANGEでシュークリームを食べながら待つ。

隣の日本橋案内所で皆んなと合流。今回の参加者は10人。毎回ウオーキングコンシェルジュの佐野正宣くんの企画だ。
まずは、裏の福徳神社「芽吹稲荷」にお参り。

けして大きくはないが、ご由緒を見ると、主祭神の倉稲魂命をはじめ、太田道灌、徳川家康など、江戸東京にゆかりが深い。

そしてコレド室町に戻り、ニンベンで出汁の味見と買い物。
つづいて、雨の中を歩き出す。行先は日銀の隣「貨幣博物館」

受付で空港並みのチェックを受けたあと、2階の映像コーナーへで10分のビデオを観る。

そして展示会場に。ここからは撮影禁止なので貨幣博物館webページ資料より。和同開珎から大判小判や紙幣など多数の貨幣の展示を見た。

高橋くんに教えて貰った「西郷札」もあった。

セゴドンも苦労したのだなぁ。

つづいて、地下鉄のコンコースに展示されている絵巻物「煕代勝覧」(きだいしょうらん)のレプリカを見学。本物はベルリン国立アジア美術館に。

江戸時代の日本橋界隈の生活が偲ばれる。

次に、「日本橋魚河岸記念碑」へ。関東大震災で築地に移るまで、徳川家康が江戸に住んでから幕府の膳所に上納した残りの鮮魚を舟板の上に並べ、一般に販売したのが、始まりとか。

そして、日本橋と言えば「道路元標」を見に。本物は日本橋の中央に。写真はその北西に作られたレプリカ。お江戸日本橋七つ立ち‥と歌にある様に、国道1号・東海道、4号・日光街道、6号・水戸街道、14号・京葉道路、15号第一京浜、17号・中山道、20号・甲州街道が集まる7幹線国道の起点となっている。

ラストは「名水白木屋の井戸」の碑。江戸時代、日本橋に呉服の大店「白木屋」二代目木村彦太郎は正徳元年(1711)、日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に井戸を掘った。平成10年に閉店し、白木名水は消失。その碑を移設したもの。

いよいよクラス会の会場へ。人形町から都営地下鉄で浅草橋へ。会場のTDK柳橋倶楽部に到着したのは予定通り17:20。エイグルのロングブーツに黒傘で雨の日の散歩を楽しんだ。

田植えも終わって1ヶ月

東庵の周りの環境は、低めの里山と畑と田んぼに囲まれている。日常の買い物はプリウスで6kmのところにあるスーパーマーケットや、役場に郵便局などである。どこに行くのにも自動車に頼ることが多い。しかし、健康のことを考えたら、歩くことも大切だ。最近は、車に頼らず、歩いている人が増えた。健康診断の指導のおかげか。

この時期、ほとんどの田んぼでは田植えが終わっている。以前はゴールデンウィークの連休に田植えをしている人達をよく見かけたが。今では四月の初めには、田植えを終えて、もうすでに苗は1ヶ月を経過して育っている。
冬の間、荒涼としていた景色も、育ってきた苗によって、一面に広がった緑が、眼にも優しく映ってくる。

たくさんの田んぼがある中で、一枚毎に全て同じ田んぼはひとつも無い。広さや形だけでなく、農薬漬けの田んぼから、減農薬、無農薬、つまり有機栽培の田んぼなど。それらが入り混じって存在している日本の米作りでの現状である。

隣の田んぼとの境にあるあぜ道に生えた雑草を、刈り払い機で草刈りをする農家と、枯れ葉剤の農薬を噴霧する農家。雑草を短く刈り取られたあぜ道と、赤茶色に枯れた雑草の残ったあぜ道が隣り合っているのも、よく見かける光景だ。

東庄町でも合鴨農法と言って、田んぼの雑草を合鴨に食べさせる農家もある。
また、隣の小見川町でも、不耕起栽培と言って、人工的に手を入れることを極端に控える米作をしている農家もある。

以前、マクロビオティックでベーガンベジタリアンを10年続けていた時。米袋を開けたとたんに、農薬のケミカルな匂いと無農薬の玄米との違いが直ぐに分かった。合鴨農法の米でも、その鳥の匂いがしたものだった。

この時期その違いを証明してくれるのが、白鷺をはじめとする田んぼの生き物を採りにくる鳥たちだ。タニシやドジョウ、かえるにザリガニ。みんな好物ばかりだ。
短い若い苗だから、餌も見つけやすい。これから暑い夏の陽をいっぱいに受けて。やがて台風にも耐え、秋の見事な黄金色の稲田を見せてくれることだろう。

発酵の里こうざき 酒蔵まつり お蔵フェスタ2018

今年も春、3月25日のこと。毎年恒例の第20回目、千葉県香取郡神崎町の酒蔵、鍋店「仁勇蔵祭り」と寺田本家「お蔵フェスタ」が開催された。今回は天気もいいし、車移動の我が身にとって、初めて電車での参加をしてみた。我が家「東庵」から歩いて5分の下総橘駅から成田線に乗って約40分。下総神崎駅に到着。会場までは歩いて15分だが、シャトルバスに乗る。

着いてみると、歩いてきた人たちもかなり増えてきて、主要な道路は歩行者天国になっていた。道路いっぱいに溢れ出した人たちは、ひたすら蔵元に進む。

すでにこの道の両側には屋台の店が並ぶ。

千葉県のブランド佐原の手作り「八木の耳かき」も出ていた。

最初に出会う蔵は鍋店「仁勇」の蔵。無料試飲コーナーは長蛇の列。

ここはパスして蔵の見学コースに入ると、絞り出し生原酒の試飲に並んだ。直ぐに飲めたのがラッキー。

それも、蔵でしか飲めない搾りたて。袋の吊るし絞りと機械絞りの飲み比べ。吊るし絞りがまろやかであった。

ややいい気分で道路に出ると、様々な屋台が迎えてくれる。基本的に酒のツマミになるものが多い。時間が経つごとに人が増えてきた。
右へ曲がると、懐かしい寺田本家の蔵が見えてきた。
お蔵フェスタの入り口で、5枚つづりの試飲券を500円で買う。

会場の飾り付は万国旗ではなく、古布だったのが嬉しい。

蔵見学コースに並ぶ。しばらくして中に入ると。
酒造りのプロセスに沿って説明が始まった。
グループごとに各コーナーで詳しい酒作りを学ぶ。
寺田本家から出て、裏フェスタ会場に。途中どぶろくを飲めるコーナーにつかまる。

この辺で、5〜6杯は飲んでいる。
裏フェスタ会場の素晴らしさは、ステージから小さなテントまで、全て竹を構造に使っていることだ。
そしてステージでは、GOCOO+TAWOOの和太鼓のライブが会場を盛り上げていた。

皆んな大拍手の中演奏は終わる。

そろそろお腹が空いた。まずは「こがし焼きそば」

「麻炭入りフランクフルト」のソテー。

夕方になって。帰り道に「仁勇」の鍋店にもう一度寄ってみた。
人混みは半減していて、試飲にも難なくたどり着けた。

帰りもバスに乗り駅へ。

改めて神崎駅舎を観ると、以前のひなびた田舎の駅は新しく今風に建て替えられていた。

ホームも一年で最高の混み具合。それもそのはずで、東京は新宿から、専用のJR特急列車が用意され、指定は往復満員だという。

いよいよ発展してきた「神崎醗酵祭」寺田本家の先代の笑顔が浮かんでくる。ちょっとホロ酔いのいい一日でした。

 

今年の冬はことのほか冷える日が多い。リビングの薪ストーブも焚きっぱなしだ。

薪ストーブにしたのは、東庵の新築と同時。竣工は1990年だから、今年で28年目に入る。
もっとも、ストーブ本体は初代のスウェーデン製が20年経って、2代目のニュージーランド製に取り替えられた。形はシンプルな角形で似ているけど。新しいものは、クッキング機能が色々付いていて、ストーブ料理も楽しめるのが気に入った。

燃料を木材に頼るのは、日本では古代からの生活に始まるけれけど。江戸時代の浮世絵などを見ると、景色の中ではほとんど禿山で、現在のように木の繁った森林は見かけない。それもそのはずで、燃えやすい木と紙で出来た建築の火災による建築資材の供給にいとまがなかった。それに加えて、燃料のほとんどを「薪」に頼った生活のすえの禿げ山化であったようだ。時代劇で、囲炉裏に暖をとったり、釜戸での煮炊きをしたり、風呂を炊いたり、全てに薪が燃料として使われている。江戸時代、貧乏な暮らしの物語では、厳しい冬を乗り越える薪が手に入らず、苦労する話にも出会う。「燃やす薪も無くなってしまった」という台詞は、なんと身体も冷える言葉だろう。

人ごとではなく、我が家の冬のメイン暖房である薪ストーブ。その薪が不足している。実は大変だ。どうにかしなくてはならない。かなり深刻な問題として悩んでいた。そんな時、持つべきものは近くにいる知人である。親類の家の庭の整備に伴って、槙の木を切ったので短く揃えたら薪になるかなと。

願ってもないことで、長さ30cmiにしてもらい、届けてくれた。そうしたらなんと軽トラック4杯分もあって、おまけに古い家屋を解体した古材もいただいた。

燃やしてみると、伐採したばかりの幹や枝では、素材の持つ含水率が高く燃えにくい。しかし材木になってから何10年も経っている古材は燃えやすく、両方を混ぜて使うのが賢い方法だと気づくのに時間はかからなかった。

この冬の燃料が欲しいと願っていた者への神様のプレゼントとしてしか思えない。感謝、感謝です。ありがとうございます。

東庵にも冬が来た。

目の前の石出の堰には水鳥が集まってきた。

プリウスは氷に包まれて、近ずくとまるで氷河のよう。

リビングルームの室温は10℃を切った。薪ストーブの出番。今年の火入れはいつもより半月早かった。

燃料の薪は、厳冬の前に準備出来れば余裕だ。

振り返れば、酉年の終わりを告げる雲。

猫だけは日向ぼっこ。暖かい場所を良く知っている。

今年もあと2週間。来る年が皆様にとって良い年でありますように。

 

ヤワタホームのオーガニックハウス

「10月14日 成田初! オーガニックハウス見学会に向けてオープンに向けて準備中です。期間限定となりますのでお見逃しなく。」

という事でスタートしたヤワタホームのオープンハウス。マイホームを検討中の方も、これから計画したい方も、この際に是非見学をして欲しいと思います。

今から40年前、当時桑沢デザイン研究所のインテリア住宅研究科に学んでいた頃、世紀の二代巨匠、コロビジェとライトにかける憧れは、学生の設計思想に掛ける大きな想いであった。

20代の私自身コルビジェに傾倒していたのだが、不思議な事に、卒業して社会に出てから段々と年をとり、色々な事物に触れて来た今となっては、ライトのデザイン思想に共鳴する事が増幅して来た。

1960年代にデザインを学ぶものとして、より人為的なフォルムや人工的な解決策に価値を委ねようとする時代の風潮があった。それが、年をとるごとに「自然とは人工とは何だろう」という永遠のテーマと共に、日本人の自然に寄り添う生き方に同調してきている自分がいた。

フフランク・ロイド・ライトは、日本の建築史にも深く関わりがあるアメリカの建築家である。ライトは、来日して、帝国ホテルや自由学園など幾つかの作品を残しているが、日本人の自然観にその価値を見出していたのだろう。建築家の隈研吾さんも、建築とは大地に生えている植物の様なものと、ライトと隈さんご自身のアイデンティティーを話しておられた。

オーガニックハウスは、ライトの設計思想を受け継いだアメリカの後継者たちの作品を、財団が管理し、それを委託されたオーガニックハウスとヤワタホームが提携して、成田には初めてのオープンハウスが完成された。

私も、幾ばくかの協力をしたが、ヤワタホームが今までやって来た「いやしろの家」に新しい住宅デザインが加味して。提案したのは、「デザイン✖️健康住宅」である。新しいブランドとして定着して欲しい。